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伊福部昭が逝去して1年が経ちます。3月4日にはサントリーホールで一周忌のコンサートが行われます。それに合わせて、先生の映画音楽を2枚に凝縮した映画音楽のベスト盤とも言うべきCDを制作しました。生前、先生が雑談の中で”もしそんなもの(追悼盤)を作るようなことになったら…”と小林淳氏に話されたセレクトを踏まえて纏めました。「人間革命」等、初収録の作品もあります。
純音楽のみならず、「ゴジラ」を始めとする数々の映画音楽を生み出した作曲家。バーバリックで骨太なその音楽は疲弊した現代音楽を吹き飛ばす。

伊福部昭(いふくべ あきら) 一九一四(大正三)年五月三十一日。北海道釧路町幣舞生まれ。  九歳のときに父親の音更村村長就任に伴って音更尋常小学校に転校、十二歳までを音更村で過ごす。同地に住むアイヌの人々との交流を通し、アイヌの伝統芸能・伝承古謡・民族音楽に親しんだ。二十歳のときに早坂文雄(のちの作曲家)、三浦淳史(のちの音楽評論家)、次兄・伊福部勲らと「新音楽連盟」を結成し、札幌で先端的音楽活動を行なった。
  一九三五(昭和十)年に『日本狂詩曲』がチェレプニン賞の第一席に輝き、一九三三年作のピアノ曲『日本組曲』が一九三八(昭和十三)年、ジーノ・ゴリーニの演奏によってヴェネチア国際現代音楽祭に入選する。一九四三(昭和十八)年作『交響譚詩』が日本音響株式会社(現・日本ビクター)第二回管弦楽曲懸賞一等、文部大臣賞を受賞する。
 一九四六(昭和二十一)年八月、プロの音楽家になるべく家族を連れて上京を果たす。小宮豊隆学長の招きにより東京音楽学校(現・東京芸術大学音楽学部)作曲科講師に就任する。一九四七(昭和二十二)年、札幌時代の旧友で音楽家仲間である早坂文雄を介した東宝の音楽部長・掛下慶吉からのオファーを受け、東宝映画『銀嶺の果て』(監督谷口千吉)の映画音楽を担当する。これが映画音楽第一回作品となった。
 その後、純音楽作品や舞踊(バレエ)音楽作品の創作とともに映画音楽の作曲は重要な仕事となっていく。人間ドラマ映画、活劇映画、時代劇映画、社会派映画を主軸に各大手映画会社の娯楽大作から独立プロダクション系の小作、非商業ベースの文化映画類まで、三百本弱の映画音楽担当作を送り出す。関川秀雄、吉村公三郎、新藤兼人、伊藤大輔、市川崑、本多猪四郎、熊井啓、三隅研次、田中徳三、田坂具隆などの監督たちと組んで名作を送り出す。
 一九五四(昭和二十九)年、東宝映画『ゴジラ』(監督本多猪四郎)の音楽を書いたことがきっかけとなって田中友幸・本多猪四郎・円谷英二トリオによる特撮SF怪獣映画を多数引き受け、映画音楽分野における仕事を一面象徴するものとなった。映画音楽の最終作は自らの手でゴジラを葬送した『ゴジラVSデストロイア』(1995/監督大河原孝夫・特技監督川北紘一)。組んできた監督は七十人以上、映画音楽における作曲総数はおよそ五千曲以上に達する。
 一九八〇(昭和五十五)年、紫綬褒章受章。一九八七(昭和六十二)年、勲三等瑞宝章受章。一九九六(平成八)年、日本文化デザイン賞・大賞受賞。二〇〇三(平成十五)年、文化功労者顕彰。二〇〇六(平成十八)年二月八日、多臓器不全にて逝去。享年九十一。

小林淳

 
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伊福部昭 映画音楽の世界
オリジナル・サウンドトラック(CD2枚組)
AI-1914-1、AI-1914-2
\3,600
2007年3月4日
伊福部映画音楽のレコード・CDを数多く作ってきた弊社としては、その決定盤ともいえる伊福部映画音楽を選りすぐった2枚組。